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五十からでも遅くない

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数日前に読了。


五十からでも遅くない  (著)瀬戸内寂聴

五十からでも遅くない (光文社知恵の森文庫)/光文社
¥691
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著者が様々な雑誌などに発表したエッセイがまとめられている。

古い物だと50年前くらいのエッセイも。


☆ メモ ☆


「自分のかけがえのない一生は誰の責任にゆだねることも出来ず、自分で守りぬくしかないのです」(『クロワッサン』1985年3月10日号)


→そうかも。

ついつい環境のせいとか、家族のせいとかにしがちであるが、結局は自分なのだ。


「人生に倦み、自分を粗末に扱いはじめると、いくらお金をかけて着かざっても、女には、どこか、だらしのない不潔なにおいがにじみだすらしい」(『中部日本新聞』1963年9月15日号)


→これは肝に銘じておく必要がある。

「自分を粗末に扱う」という言葉が非常に心に響く。

自分を大切に扱おう。


「お化粧するために鏡を見るのではなく、自分が今、どんな表情をしているか、人に会う前にはちょっと鏡をのぞく習慣をつけたいものである。」(『比叡山時報』1977年の連載より)


→「表情筋エクササイズ」を学びだしてから、仕事用パソコンの隣に鏡を置くようになった。

すると、もう、身の毛もよだつような私の顔が・・・・。

今も横目で鏡を見ているが、口角が思いっきり下がっていたので、思いっきり上げておいた。


「誰かが何かをごまかし、あるいは知っていて目をつぶり、あるいはあきらめ、誰かの犠牲の上になりたっているのが家庭である。そのことに気づかないのは、本気で自分の内心や、夫や子供の心の底へ入っていったことのない主婦の鈍感さと怠慢さである。」(『婦人公論』1978年6月号)


→この後、「家庭」単位で物事を考えるのは間違っている、という文章がある。これはまさしくそうだろう。年金問題など。厚生労働省はいまだに夫婦と子ども2人の世帯をモデルにして考えているそうだが、そんな家庭は何%なんだろうか。


それにしても、家族は「誰かの犠牲の上になりたっている」というのは頷ける。

それが、主婦一人の犠牲というのは避けたい。


この部分ではこの人、あの部分ではあの人、というように家族全員が何らかの部分で犠牲というか我慢をしたり、遠慮をしたりして成り立っているのだろうねえ。




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お掃除ロボット・ルンバのスイッチボタンを押すこと。

これは得意である。






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